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東広島市西条町御薗宇「吾妻子の滝」

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広島ブログ

 

Googleマップ・ミニ旅行(地図を見て出かけた気分を楽しむ脳内旅行)で「え?こんなところに立派な滝が!」と見つけ、確かめに行きました。

 

東広島市立御薗宇小学校そば、黒瀬川の滝「吾妻子の滝」です。

場所は何となく分かるのだけど、車で延々とぐるぐる走りました。

 

広々駐車場もあり。

ただし、何も表示が無く、月極駐車場だと思った場所がそれでした。

 

車を置いて、坂をてけてけ歩くとあっという間に到着です。
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滝を眺望できる場所に公園が整備されています。

 

ここは白牡丹精米臼場趾でもあり、江戸時代から吾妻子の滝を利用して水車を回し、酒米を精白したそうです。
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その水車を模したものかな、回らない水車です。

ただ、吾妻子の滝から分流した水が手前の水路に流れていて、親子連れが遊んでいました。

 

この辺りには源頼政の妻・菖蒲の前に関する伝承地がいくつかあるそうで、この滝もそのひとつです。
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源頼政は自害し、残された菖蒲の前は稚児と一緒にこの場所へ逃げてきました。

しかし、その稚児は病死し、滝のそばに埋葬しました。

悲しみに暮れ、菖蒲の前が詠んだ歌

「吾妻子や 千尋の滝のあればこそ 広き野原の 末をみるらん」

この歌で、元は千尋の滝であったものが吾妻子の滝とされたそうです。

 
 
 
 
 
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平安時代末のことだそうで、当時の景色と変わらないのでしょうね。
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夫を亡くし、子も亡くし呆然とする中で歌を詠むのは、ボクには理解し難いところです。

 

吾妻子の滝公園から、黒瀬川に沿って遊歩道が整備されています。

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どこまで行っても川辺には降りられません。

 

赤とんぼ

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スマホを近づけても逃げないなと思いましたが、この後パッと飛んでいきました。

 

それにしても勇壮な滝がこんな町中にあるのは珍しいです。
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おそらく危険なため、滝のそばまで降りられないようになっているのでしょうね。

 

少し残念なのが、滝の上部に人工物が見えることです。
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堰か何かが見えます。

そこから滝へ視線を落とすと、滝までまるで人工的に見えてしまいます。

 

この堰は三永水源地へ水を誘導するものです。
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向こうの取水口から三永水源地へつながっています。

三永水源地は、現在、工業用水として活用されているそうです。

 

吾妻子の滝の上流にかかる「観音橋」から見下ろすと、堰堤から手前が砂溜池となっていますが、わずかに滝と同じ岩が顔を覗かせています。
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これに気づいて、ああここは本当に立派な滝だったのだと思いました。

 

滝の横に観音堂があります。
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吾妻子観音堂の名のとおり、源頼政の幼子の墓と言われる石塔が安置されているそうです。

 

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【訪問日】

2023年9月24日

【吾妻子の滝】

住  所  東広島市西条町御薗宇

吾妻子の滝(東子の滝)/東広島市ホームページ