75年は草木も生えないと言われたヒロシマが迎えた、その75年目。
コロナ禍での平和祈念式典は参列者を限定して行われました。
今年は、8月6日には訪れられなかった平和公園へ、夜の散歩がてら出かけてみました。
ここに来て、小学生の夏休みにボクは、仲間3人で『一瞬で焼け野原となったヒロシマの街を再現した模型作り』をするため、資料集めをしたことを思い出しました。
熱線と爆風で一瞬にしてヒトもモノも焼き尽くし、破壊した。
その前と後、比べながらできるだけ正確に再現したいとこだわっていました。
今もヒロシマの子どもたちの手によって、平和集会が開かれる。だけど、今年は軒並み中止だったようです。
ただ、今は平和のバトンが途絶えないように願うだけです。
その75年目に、レストハウスがリニューアルしました。
元の大正屋呉服店。リニューアルで、地下から3階まで展示施設や軽食休憩所などになっているようです。
ここから先が本通り商店街につながっていく。
コンビニで買ってきた飲食物を食べながら夕涼みする人も見られました。
散歩コースになっていたり、ジョギングする姿も見られます。
爆心地の島病院へ。
T字の相生橋を目標に原爆を投下し、やや東南の島病院上空で核分裂爆発しました。
原爆ドームを写真撮影したのは生まれて初めて。
保存工事を何度も繰り返しての今の姿です。
原爆ドームそばの雁木から元安川を臨むと、その先に相生橋が見えます。
出来上がった模型は、大きなものになってしまって、小学校へ持っていくのは大変でした。
もっと大変なのは、担任の先生だったでしょう。どうやって展示するか…
そして、どうだったかは覚えていません。写真にも撮っていないので、どんなモノだったかも忘れてしまいました。
人間は、忘れます。だから、被爆の惨状を語り継がなくてはいけないのです。
【訪問日】
2020年8月20日