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別府の丘にそびえる白き塔 ― 仏舎利塔を訪ねて

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広島ブログ

 

遅い夏休みをいただいて、瀬戸内海の西側をくるりと周遊しています。

 

台風一過の晴れ空で、気持ちの良い朝を迎えました。

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まずは「高崎山自然動物園」へ向かいました。

しかし駐車場入り口に「ただいまの時間はお猿さんはいません」と表示があり、係員さんにも尋ねましたが「サル寄せ場」に今の時間はいないよ、とのことで残念😢

そりゃそうだ、人間の都合で野生の猿が行動するわけないもの。まだ開園したばかりの時間だしね。

ところで気掛かりなことが。今はB群とC群だけになっていて、かつていたA群は見られなくなりました。野生の群れだから権力争いがあるんですね。

そのまま踵を返して、別府仏舎利塔へ向かいました。

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さすが、かぼす処大分県!かぼすガスなるLPガスボンベが抜き去って行きました。

慌てて撮影をお願いしたショットです。

「大分かぼす」はGI登録されています。※ ガスとは関係ありません。

大分県カボス振興協議会 | 大分県カボス振興協議会

 

別府仏舎利塔は「日本山妙法寺」が管理しています。

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ここまで車道があり、公衆トイレと無料駐車場があります。

お声かけしてからと思いましたが、住職さんにお会いできませんでした。

 

真っ白なストゥーパ仏舎利塔)様式で、青空によく映えます。

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仏舎利塔とは、お釈迦さまの舎利(遺骨)を安置する場所です。

1987年(昭和62年)に完成しました。

 

途中に鐘があります。
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そこから仏舎利塔を振り返ると、また違った美しさがあります。
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正式名称を「日本山妙法寺府道仏舎利塔」といい、平和記念塔とも呼ばれます。

 

ここからの眺望は、別府市内から別府湾にかけてパノラマが広がります。
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大阪と別府を結ぶ「さんふらわあ」が停泊していました。

この後、港まで行って見ましたが大きな船です。

これほど大きければ揺れないでしょうね。いつか乗船してみたいです。

 

仏舎利塔に上がり、お参りしました。

「御誕生仏」おたんじょうぶつ
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四月八日御誕生の時、野山一面に花が咲き乱れ、御釈迦様は天上天下唯我独尊と唱えられました。

 

「御涅槃仏」おねはんぶつ
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八十才で御涅槃(お隠れ)になられた時の御釈迦様、沙羅双樹は枝をしなだれ一切の衆生生類は悲しまれた

 

陽の陰で見るストゥーパ
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初転法輪仏」しょてんほうりんぶつ
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成道(悟りを開いて仏となられた)後 初めて五人のお弟子に法を説かれる御釈迦様

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「降魔成道仏」こうましょうどうぶつ
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苦行練行十二年の後 一切の悪魔を降伏され悟りを開かれた三十才成道の釈尊

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広島市にも二葉山平和塔(仏舎利塔)があります。

こちらは1966年(昭和41年)に完成しました。

「原爆犠牲者の冥福を祈る」性格を併せ持った、お釈迦さまの舎利(遺骨)を安置する場所です。

 

別府仏舎利塔から見る山手は「鶴見岳」を最高峰とする山々が連なります。

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この仏舎利塔のある「実相寺山」は石垣原合戦古戦場だった場所です。

チャッピーさんに解説してもらいましょう。

石垣原合戦は慶長5年(1600)9月、大分県別府で行われた戦いです。旧領回復を狙う大友義統は約6,000の兵を率いて黒田軍と激突しました。黒田軍は約3,600と劣勢でしたが、隠居していた黒田官兵衛(如水)が実際に軍を指揮し、巧みな戦術で大友軍を破りました。表向きの総大将は息子の黒田長政でしたが、勝利の立役者は官兵衛でした。この敗戦により大友氏は滅亡し、石垣原合戦は「九州の関ヶ原」とも呼ばれています。

 

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【訪問日】

2025年9月5日

【別府仏舎利塔

住  所  大分県別府市実相寺