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ボクが小学生だった頃に、伯母さんと暮らしていた祖母がボケてしまいました。
伯母さんと父との間にどういうやりとりがあったかは知りませんが、祖母はボクのうちにやってきました。
祖母、つまりボクのおばあちゃんは、本当にボケていました。
「ご飯は炊いたかいのぅ」「ご飯は炊けたかいのぅ」「ご飯は食べたかいのぅ」と、似たようなことや同じことを何度も何度も繰り返し確かめてきます。
誰かに聞いたのか、おばあちゃんは今で言う「脳トレーニング」を自分から始めました。
ボクはおばあちゃんから「足し算、引き算の計算ドリルを作ってちょうだい」とお願いされて、広告の裏に問題を書いて、たくさん作りました。
「時計の読み方も作ってね」とお願いされて、学校のプリントの裏にたくさん書いて作りました。
おばあちゃんはドリルを解いたら「採点してよ」とお願いしてきます。小学生のボクにお願いしてきます。
ボクは嬉しくて、繰り返し繰り返し説明しました。
時計の読み方も、計算の仕方も、答えを教えるのでなく、考え方を何度も何度も説明しました。
おばあちゃんは、わかる時と、わからない時の差が激しかったです。
だけど、何度聞かれても、繰り返し考え方を教えました。
そんなある夜に、おばあちゃんは寝ている母に「ご飯は何時に炊けるようにしたかいのぅ」と聞きに行きました。横で寝ていた父が「ええ加減にせえ。ご飯ご飯と、同じことばっかり言うな。」とおばあちゃんを怒鳴りつけました。
翌朝、おばあちゃんが着替えて外に出て行く姿を見つけて、ボクはその後をついて行きました。
おばあちゃんは徘徊していたけど、目的地はバス停でした。
後ろをついていくボクにおばあちゃんは「どこからバスに乗ったら、故郷に帰れるんか教えてちょうだい」と言いました。
ボクは、バスセンターに行けば故郷に帰れることを知っていましたが、どうやったら安全にボクの家に連れて帰れるかばかり考えて、うまく答えられませんでした。
おばあちゃんは、「故郷に帰りたい。ここに自分の居場所はない。たとえ一人になっても故郷にいたい。」と言いました。
ボクは困って、「時計の読み方の勉強の時間だよ。」と言ったら、おばあちゃんは諦めたのか、ボクについて家に帰りました。
それからも、同じような問答が続いていましたが、ボクは変わらずドリルに付き合い続けました。
「ボケ」は治るのか。その答えは分かりません。
だけど、おばあちゃんは、どこでスイッチが入ったのか、段々とシャンとし始めました。
六割くらい戻ったところで、父が故郷に戻しました。伯母さんとの生活が再開しました。
その途端に、元のおばあちゃんに戻りました。
そんなおばあちゃんは、ボクが二十歳になった時に急死しました。
晩ごはんを食べている最中に、ちょっとだけ苦しみ出して、伯母さんが「ご飯を飲み込めないなら、口から出しんさい」と言ったら頭を机にコトンと打ちつけたまま亡くなったそうです。
病院にもずっとかかったことがなくて、表彰されるくらいだったから、死亡診断に来たお医者さんは「老衰ですね」と言うだけでした。
お通夜の日に、おばあちゃんがいつも座っていた場所に腰掛けたら、横の棚にあったノートの下からまだ解いていない計算ドリルを見つけました。
晩年は、足腰が悪くなって、トイレもポータブルを使っていました。足腰が悪くなると途端に、ボケも始まったそうです。
ドリルが特効薬と思ったかどうかは確かめようもありません。
ドリルは、子どものものであり、お年寄りのものであり、
8月26日のプレバト‼︎ 俳句の梅沢富美男永世名人の句に「漢字ドリル」が使われているのを見つけて、ふと思い出したことです。
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梅沢富美男永世名人の漢字ドリルの句は「ボツ」になって、シュレッダーにかけられてしまって笑いましたが、本心は悲しかったです。
富美男!シャンとせぇ‼︎
あと、日記の内容が、ブログのカテゴリ分類するには難しいので、ボクが食べかけの「バンダイ キャラパキ 発掘恐竜チョコ」を足して「おうちごはん(ボク)」に分類しときます。